30年前の「COMBAT!」
いよいよ8月も終わりますね。
思っていたほどの猛暑ではなかったものの、雨が多く、それで困った方もいらっしゃったかと思います。
さて今回はボクと盟友・南樽太郎くんが今から30年前の夏休みにこんなことをして遊びましたよーというお話です。
とその前に基本的な事柄からを年代ごとにおさらいしてみましょう。
1964年 米国にて1/6サイズのミリタリーアクションフィギュアの嚆矢“G.I. Joe”発売される
1966年 南樽太郎氏 生誕
1967年 黒江龍雄 生誕
1970年 タカラより“ニューGIジョー”発売される
1982年 二人が出会う
1984年 タカラより“コンバットジョー”
1984年 パリトーイの“アクションマン”シリーズ、ポストホビーで販売開始
1985年頃 ツクダオリジナルよりパリトーイの“アクションマン”発売される
1987年夏 写真劇「COMBAT!」撮影
1996年頃 フィギュアブーム、各社1/6ミリタリーフィギュアを発売、今日に至る
そもそも南氏と仲良くなったきっかけはミリタリーの話題。
特にアメリカのテレビ映画「COMBAT!」の話題では大いに盛り上がりました。
また、ボクは枢軸びいきで、南氏はアメリカ軍びいき(当時)。
ボクは撮影が主で、造型担当は南氏、分業されてこともあって自主製作映画の撮影など含めていろいろと楽しいことを二人でしてきました。
なお、本来ですとモノクロ写真の方が「COMBAT!」のイメージかもしれませんが、30年前の紙焼き写真をスキャナしたためモノクロだと細部が見られなくなってしまう可能性もあるためカラー版としました。
では、そのようなことがらをお含みの上、写真劇「COMBAT!」をご覧ください。
「COMBAT!」(テーマ曲)

ヘンリー少尉のナレーション(独白)
「師団本部から正面のドイツ軍はわが方の航空攻撃により全面的に退却中、との情報を受けた我々は、中隊長の指揮のもと、かねてよりの懸案だった橋を見下ろせる高地の奪取に取り掛かることにした」

「そこでまず私は小隊の主力を小休止させ数名の斥候を送った…」
※写真左から4人目がビリケン商会から発売されたヘッドを南氏が塗装したサンダース軍曹。
※ちなみに左端が同じくビリケン商会から発売されたC.イーストウッド風ヘッド。

ジャーン(SE)
「Amerikaner!」(アメリカ兵だ!)
「Schießen!」(撃て!)

※この画像のみ機銃の発射炎をデジタル加工してあります。
「Hörst du einen Klang?」(今の音はなんだ)
「Es ist der Klang von der maschinellen Pistole」(敵襲らしいな)

※当時の雰囲気を出し原文とセリフをずらしてみました。
ドイツ語がわからない言い訳ですが。
※ドイツ軍の装甲車はイギリス、パリトーイ製です。
大学受験のため上京した際にポストホビーで購入しました。
「Zur selbstangetriebenen Pistole, vor」(戦車部隊を出動させよう)

※右がタカラから発売された“パンサー戦車”
当時はロンメル戦車という名前でおなじみだった“ヤークトパンター”。
どう見ても1/6じゃないけれど…
サンダース軍曹
「敵と遭遇したらしいですぜ。小隊長、敵は退却したはずじゃなかったんですか」
ヘンリー少尉
「情報が常に正確なら苦労はいらんさ。それにこっちには虎の子のタンクもある」

戦車長
「食後の腹ごなしにはょうどいいや、はぐれないでついてきてくださいよ。どうせ敵には戦車なんてないんだ」
中隊長
「戦車を先頭に前進!」
ヘンリー少尉
「戦車を盾にするんだ」

※こちらの戦車はやはりイギリス、パリトーイ製のスコーピオン戦車
「Ein Tank kam!」(敵戦車、接近)
「Wirf eine Granate!」(攻撃、開始)

※ドイツ軍が擬装用に使用している木は現地調達しました。
「Eile!](丘へ急げ)


※タカラの“ニューGIジョー”ドイツ兵は2体ありますが、別の役ということでサングラスをさせています。
映画「レマゲン鉄橋」でもロバート・ヴォーン扮するクリューガー少佐もサングラスをかけていたよねってことで押し切りました。
ちなみにサングラスはタカラのジェニーのものです。
「ドゴーン!」

※後で一連の写真を見た南氏のご母堂が嫌がったという写真がこれでした。
※使用したのはタカラの“M41戦車”
「ボゴーン!」

「バゴーン!」

「Der gleiche Fortschritt」(敵戦車、全滅。このまま一気に前進)

※右は“コンバット・ジョー”のドイツ兵。
彼も同じ人形が複数いるので、その1体に眼鏡をかけさせました。
メガネはやはりタカラ・ジェニーのもの。
ヘンリー少尉
「この一線を確保しろ」

※写真左端がヘンリー少尉。
その右隣がカービー。
サンダース軍曹
「グレーディ、バズーカ持って一緒に来い!」

※当時はバズーカ担当の兵士に名前はなかったと記憶しています。
ブログ掲載にあたり、「COMBAT!」の名エピソードの一つ「丘は血に染まった」に登場したバズーカ砲手の名前を、そもそものモデルが彼ということもあり、その名をいただきました。
サンダース軍曹
「まだだ、まだまだ」

※バズーカ砲はタカラ“ニューGIジョー”のものを使用しています。
本当に弾が飛び出すギミック付き。
サンダース軍曹
「よし、今だ。撃て!」

「Eine selbstangetriebene Pistole wurde zerstört」(戦車がやられた)
「Ziel bei diesem Busch」(あそこだ、撃てっ)
「Ziehe Vorbereitungen zurück」(撃ったら引き上げるぞ)

グレーディ
「軍曹!」
サンダース軍曹
「グレーディ!」

※グレーディ他を演じているアクションマンは、モンチッチヘアーで頭が大きくおもちゃ然としていますが、目が動くので表情が豊かです。
中隊長
「戦車を破壊された敵は退散したようだな」
ヘンリー少尉
「はい、予定通り、高地へ向かい観測班を置きます」

サンダース軍曹
「よし、急げ。遠足じゃないんだぞ」
カービー
「そうどやさないでください…、おい、リトル・ジョン、何してんだ」
リトル・ジョン
「行くよ、行くよ」


「COMBAT!」(テーマ曲)
<おしまい>
おまけ

参加全フィギュア、使用車両、小道具類

黒江龍雄所有分がこちら。
※南氏の分の写真も撮りましたが、そちらは南氏の元にあり、ボクのところには残っていませんでした。

で、当時のボク。
今なら熱中症で大騒ぎですよ、きっと。
あの日。
「また撮ろう!」と言い合ってから早30年。
結局実現できていないままだけれど、もう一度言います。
「また撮ろう!」
今回の記事で触れた映像作品等がこちら。


カラー版


モノクロ版、カラー版ともにゲスト出演しているテリー・サバラスの回は傑作のひとつです。
そしてC.イーストウッドの傑作戦争映画はこちら。


待ちに待ってた吹替版を収録したバージョン。
我が国の吹替映画の中でも、この映画の吹替版は最高傑作!と断言していいでしょうね。
そしてこちら。


ガルパンファンもあれっこれってとなること請け合いです。
思っていたほどの猛暑ではなかったものの、雨が多く、それで困った方もいらっしゃったかと思います。
さて今回はボクと盟友・南樽太郎くんが今から30年前の夏休みにこんなことをして遊びましたよーというお話です。
とその前に基本的な事柄からを年代ごとにおさらいしてみましょう。
1964年 米国にて1/6サイズのミリタリーアクションフィギュアの嚆矢“G.I. Joe”発売される
1966年 南樽太郎氏 生誕
1967年 黒江龍雄 生誕
1970年 タカラより“ニューGIジョー”発売される
1982年 二人が出会う
1984年 タカラより“コンバットジョー”
1984年 パリトーイの“アクションマン”シリーズ、ポストホビーで販売開始
1985年頃 ツクダオリジナルよりパリトーイの“アクションマン”発売される
1987年夏 写真劇「COMBAT!」撮影
1996年頃 フィギュアブーム、各社1/6ミリタリーフィギュアを発売、今日に至る
そもそも南氏と仲良くなったきっかけはミリタリーの話題。
特にアメリカのテレビ映画「COMBAT!」の話題では大いに盛り上がりました。
また、ボクは枢軸びいきで、南氏はアメリカ軍びいき(当時)。
ボクは撮影が主で、造型担当は南氏、分業されてこともあって自主製作映画の撮影など含めていろいろと楽しいことを二人でしてきました。
なお、本来ですとモノクロ写真の方が「COMBAT!」のイメージかもしれませんが、30年前の紙焼き写真をスキャナしたためモノクロだと細部が見られなくなってしまう可能性もあるためカラー版としました。
では、そのようなことがらをお含みの上、写真劇「COMBAT!」をご覧ください。
「COMBAT!」(テーマ曲)

ヘンリー少尉のナレーション(独白)
「師団本部から正面のドイツ軍はわが方の航空攻撃により全面的に退却中、との情報を受けた我々は、中隊長の指揮のもと、かねてよりの懸案だった橋を見下ろせる高地の奪取に取り掛かることにした」

「そこでまず私は小隊の主力を小休止させ数名の斥候を送った…」
※写真左から4人目がビリケン商会から発売されたヘッドを南氏が塗装したサンダース軍曹。
※ちなみに左端が同じくビリケン商会から発売されたC.イーストウッド風ヘッド。

ジャーン(SE)
「Amerikaner!」(アメリカ兵だ!)
「Schießen!」(撃て!)

※この画像のみ機銃の発射炎をデジタル加工してあります。
「Hörst du einen Klang?」(今の音はなんだ)
「Es ist der Klang von der maschinellen Pistole」(敵襲らしいな)

※当時の雰囲気を出し原文とセリフをずらしてみました。
ドイツ語がわからない言い訳ですが。
※ドイツ軍の装甲車はイギリス、パリトーイ製です。
大学受験のため上京した際にポストホビーで購入しました。
「Zur selbstangetriebenen Pistole, vor」(戦車部隊を出動させよう)

※右がタカラから発売された“パンサー戦車”
当時はロンメル戦車という名前でおなじみだった“ヤークトパンター”。
どう見ても1/6じゃないけれど…
サンダース軍曹
「敵と遭遇したらしいですぜ。小隊長、敵は退却したはずじゃなかったんですか」
ヘンリー少尉
「情報が常に正確なら苦労はいらんさ。それにこっちには虎の子のタンクもある」

戦車長
「食後の腹ごなしにはょうどいいや、はぐれないでついてきてくださいよ。どうせ敵には戦車なんてないんだ」
中隊長
「戦車を先頭に前進!」
ヘンリー少尉
「戦車を盾にするんだ」

※こちらの戦車はやはりイギリス、パリトーイ製のスコーピオン戦車
「Ein Tank kam!」(敵戦車、接近)
「Wirf eine Granate!」(攻撃、開始)

※ドイツ軍が擬装用に使用している木は現地調達しました。
「Eile!](丘へ急げ)


※タカラの“ニューGIジョー”ドイツ兵は2体ありますが、別の役ということでサングラスをさせています。
映画「レマゲン鉄橋」でもロバート・ヴォーン扮するクリューガー少佐もサングラスをかけていたよねってことで押し切りました。
ちなみにサングラスはタカラのジェニーのものです。
「ドゴーン!」

※後で一連の写真を見た南氏のご母堂が嫌がったという写真がこれでした。
※使用したのはタカラの“M41戦車”
「ボゴーン!」

「バゴーン!」

「Der gleiche Fortschritt」(敵戦車、全滅。このまま一気に前進)

※右は“コンバット・ジョー”のドイツ兵。
彼も同じ人形が複数いるので、その1体に眼鏡をかけさせました。
メガネはやはりタカラ・ジェニーのもの。
ヘンリー少尉
「この一線を確保しろ」

※写真左端がヘンリー少尉。
その右隣がカービー。
サンダース軍曹
「グレーディ、バズーカ持って一緒に来い!」

※当時はバズーカ担当の兵士に名前はなかったと記憶しています。
ブログ掲載にあたり、「COMBAT!」の名エピソードの一つ「丘は血に染まった」に登場したバズーカ砲手の名前を、そもそものモデルが彼ということもあり、その名をいただきました。
サンダース軍曹
「まだだ、まだまだ」

※バズーカ砲はタカラ“ニューGIジョー”のものを使用しています。
本当に弾が飛び出すギミック付き。
サンダース軍曹
「よし、今だ。撃て!」

「Eine selbstangetriebene Pistole wurde zerstört」(戦車がやられた)
「Ziel bei diesem Busch」(あそこだ、撃てっ)
「Ziehe Vorbereitungen zurück」(撃ったら引き上げるぞ)

グレーディ
「軍曹!」
サンダース軍曹
「グレーディ!」

※グレーディ他を演じているアクションマンは、モンチッチヘアーで頭が大きくおもちゃ然としていますが、目が動くので表情が豊かです。
中隊長
「戦車を破壊された敵は退散したようだな」
ヘンリー少尉
「はい、予定通り、高地へ向かい観測班を置きます」

サンダース軍曹
「よし、急げ。遠足じゃないんだぞ」
カービー
「そうどやさないでください…、おい、リトル・ジョン、何してんだ」
リトル・ジョン
「行くよ、行くよ」


「COMBAT!」(テーマ曲)
<おしまい>
おまけ

参加全フィギュア、使用車両、小道具類

黒江龍雄所有分がこちら。
※南氏の分の写真も撮りましたが、そちらは南氏の元にあり、ボクのところには残っていませんでした。

で、当時のボク。
今なら熱中症で大騒ぎですよ、きっと。
あの日。
「また撮ろう!」と言い合ってから早30年。
結局実現できていないままだけれど、もう一度言います。
「また撮ろう!」
今回の記事で触れた映像作品等がこちら。
カラー版
モノクロ版、カラー版ともにゲスト出演しているテリー・サバラスの回は傑作のひとつです。
そしてC.イーストウッドの傑作戦争映画はこちら。
待ちに待ってた吹替版を収録したバージョン。
我が国の吹替映画の中でも、この映画の吹替版は最高傑作!と断言していいでしょうね。
そしてこちら。
ガルパンファンもあれっこれってとなること請け合いです。
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大日本帝国 陸軍 中川三郎 少佐 【bbi ELITE FORCE】
西暦2017年2月15日はイギリスによる東洋侵略の牙城シンガポール要塞が陥落して75周年目となる日です。

それを記念して、今回は帝国陸軍少佐 中川三郎フィギュアのご紹介したいと思います。

このように一般流通品でオーソドックスな帝国陸軍将校がフィギュア化されるのはあまりないので、うれしくて、当時、複数買いしてしまいました…。

なお階級章(襟章)や袖章でおわかりのようにこちらは昭和18年制定の三式軍衣となっています。
なので、こののちの写真では時代に合わないものとってしまっていますが、どうぞご容赦ください。
ではせっかくなので装備を見ていきましょう。
まずは右腰あたりから。

一番目立つのが94式拳銃用の“拳銃サック”ですね。
その上の茶色い箱のようなものは“拳銃弾入れ”です。
国防色のバンドは“胴締め”と言われるもので肩から吊るした各種の装備が踊らないように締めておくベルトです。
その上あたりにある小さなボタンは物入れ(ポケット)用ではなく“空気抜き”用のボタン。
ボクの軍装の師匠・浅草はふきや商店伝法院通り店のご主人、通称・ふきやのおじさんが教えてくれました。
良いおじさんだったなぁ(T_T)。
続いて後ろ側。

大きなカバンのようなものが“図嚢”。
読んで字のごとく地図をはじめ様々なものを入れておきます。
「ウルトラセブン」のキリヤマ隊長でおなじみの中山昭二サン主演の新東宝映画「憲兵」では中山昭二サン扮する憲兵が、この図嚢の中にウヰスキーの瓶を入れていて、移送中の米兵俘虜にそれを分け与えるシーンで、米兵俘虜をして「Magic bag!」と感嘆せしめてます。
さらに図嚢の上に吊られているものが“将校用水筒”。
アルミニウム製で布の覆いが付いています。
で、左側。

将校の軍刀は私物でこちらは戦地で多く見られた鞘に革覆いをしているタイプとなります。
なお軍刀と水筒を下げるのが右か左かわからなくなりそうな人は「トウがつくものみな左」と覚えておきましょう。
で、そのままちょっと前へ。

革のケースは双眼鏡を入れておく“双眼鏡嚢”です。
ボクの軍装品はそのほとんどが実家に置いてあるのですが、双眼鏡だけは自宅に防湿庫がある関係で自宅に置いてあります。
双眼鏡の話題になったので、ご紹介しますね。

接眼部にかかっているのは革製の覆いです。
また中央部にある革のベロのようなものはボタンにひっかけるためのものです。

製造は國光。
双眼鏡も私物なのでいろいろなメーカーのものがあるようです。
では件の雑誌のページをめくり「マライ半島進撃図譜」と名付けられた写真を見ていきましょう(と言ってもウソ雑誌のウソ記事ですが)

大本營陸海軍部發表 昭和十六年十二月八日午前十一時五十分
わが軍は陸海緊密なる協同の下に本八日早朝マレー半島方面の奇襲上陸作戰を敢行し着々戰果を擴張中なり

○○師団主力、○○に奇襲上陸を敢行。

快速!銀輪部隊はただ只管、南へ南へ。

敵将が「日本軍を三か月は足止めできる」と豪語したジットララインも、秋水一閃するやたちまちにして崩る。

敵の要衝クアラ・ルムプールを下し、ジョホール水道を渡過したわが部隊は屍山血河ブキテマ高地での大激戦を征しシンガポール市内に突入。

大本營發表 昭和十七年二月十五日午後十時十分
馬來方面帝國陸軍部隊は本十五日午後七時五十分シンガポール島要塞の敵軍をして無條件降伏せしめたり
英国、東洋侵略の拠点、シンガポール遂に陥落。

祝杯をあげる中川少佐。

2月なのでお酒も“窓乃梅”にしてみました。
その一方でチャーチル首相は…

椅子に深く腰を下ろした首相はその拍子に杖を落としてしまう。
そして、しばらくはその杖を拾えずにいた。
こんな首相を見たのは後にも先にもこれが初めてだったと側近の一人は戦後回想している…というのは、ボクがさっき思いついたでたらめですが。
いろいろな意味でフェイクニュース?っほくなってしまった今回の記事。
最後に本物の「陸軍画報」をどうぞ。

裏表紙の方が面白かったりして。

小学生の頃のボクの愛読書「写真で見る太平洋戦争 シンガポール攻略戦」。

高荷義之先生の表紙画とここには載せていませんが口絵が素晴らしい。
ちなみに口絵のタイトルは「敵陣を急襲する島田戦車隊!!」で、この島田戦車隊を率いていた島田豊作少佐は我が群馬県の偉人の一人です。
そのご著作がこちら。


ああ、ボクも思い出すなぁ…
南方で戦った頃を…

というのはまたまたウソなんですが、本日をもって当ブログも6周年。
おかげさまで70000余のアクセスをいただくに至りました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
これは本当です!!!
今回の記事で帝國陸海軍の軍装に興味を持った方は、こちら本がイラスト中心でたいへんわかりやすいですよ。


それを記念して、今回は帝国陸軍少佐 中川三郎フィギュアのご紹介したいと思います。

このように一般流通品でオーソドックスな帝国陸軍将校がフィギュア化されるのはあまりないので、うれしくて、当時、複数買いしてしまいました…。

なお階級章(襟章)や袖章でおわかりのようにこちらは昭和18年制定の三式軍衣となっています。
なので、こののちの写真では時代に合わないものとってしまっていますが、どうぞご容赦ください。
ではせっかくなので装備を見ていきましょう。
まずは右腰あたりから。

一番目立つのが94式拳銃用の“拳銃サック”ですね。
その上の茶色い箱のようなものは“拳銃弾入れ”です。
国防色のバンドは“胴締め”と言われるもので肩から吊るした各種の装備が踊らないように締めておくベルトです。
その上あたりにある小さなボタンは物入れ(ポケット)用ではなく“空気抜き”用のボタン。
ボクの軍装の師匠・浅草はふきや商店伝法院通り店のご主人、通称・ふきやのおじさんが教えてくれました。
良いおじさんだったなぁ(T_T)。
続いて後ろ側。

大きなカバンのようなものが“図嚢”。
読んで字のごとく地図をはじめ様々なものを入れておきます。
「ウルトラセブン」のキリヤマ隊長でおなじみの中山昭二サン主演の新東宝映画「憲兵」では中山昭二サン扮する憲兵が、この図嚢の中にウヰスキーの瓶を入れていて、移送中の米兵俘虜にそれを分け与えるシーンで、米兵俘虜をして「Magic bag!」と感嘆せしめてます。
さらに図嚢の上に吊られているものが“将校用水筒”。
アルミニウム製で布の覆いが付いています。
で、左側。

将校の軍刀は私物でこちらは戦地で多く見られた鞘に革覆いをしているタイプとなります。
なお軍刀と水筒を下げるのが右か左かわからなくなりそうな人は「トウがつくものみな左」と覚えておきましょう。
で、そのままちょっと前へ。

革のケースは双眼鏡を入れておく“双眼鏡嚢”です。
ボクの軍装品はそのほとんどが実家に置いてあるのですが、双眼鏡だけは自宅に防湿庫がある関係で自宅に置いてあります。
双眼鏡の話題になったので、ご紹介しますね。

接眼部にかかっているのは革製の覆いです。
また中央部にある革のベロのようなものはボタンにひっかけるためのものです。

製造は國光。
双眼鏡も私物なのでいろいろなメーカーのものがあるようです。
では件の雑誌のページをめくり「マライ半島進撃図譜」と名付けられた写真を見ていきましょう(と言ってもウソ雑誌のウソ記事ですが)

大本營陸海軍部發表 昭和十六年十二月八日午前十一時五十分
わが軍は陸海緊密なる協同の下に本八日早朝マレー半島方面の奇襲上陸作戰を敢行し着々戰果を擴張中なり

○○師団主力、○○に奇襲上陸を敢行。

快速!銀輪部隊はただ只管、南へ南へ。

敵将が「日本軍を三か月は足止めできる」と豪語したジットララインも、秋水一閃するやたちまちにして崩る。

敵の要衝クアラ・ルムプールを下し、ジョホール水道を渡過したわが部隊は屍山血河ブキテマ高地での大激戦を征しシンガポール市内に突入。

大本營發表 昭和十七年二月十五日午後十時十分
馬來方面帝國陸軍部隊は本十五日午後七時五十分シンガポール島要塞の敵軍をして無條件降伏せしめたり
英国、東洋侵略の拠点、シンガポール遂に陥落。

祝杯をあげる中川少佐。

2月なのでお酒も“窓乃梅”にしてみました。
その一方でチャーチル首相は…

椅子に深く腰を下ろした首相はその拍子に杖を落としてしまう。
そして、しばらくはその杖を拾えずにいた。
こんな首相を見たのは後にも先にもこれが初めてだったと側近の一人は戦後回想している…というのは、ボクがさっき思いついたでたらめですが。
いろいろな意味でフェイクニュース?っほくなってしまった今回の記事。
最後に本物の「陸軍画報」をどうぞ。

裏表紙の方が面白かったりして。

小学生の頃のボクの愛読書「写真で見る太平洋戦争 シンガポール攻略戦」。

高荷義之先生の表紙画とここには載せていませんが口絵が素晴らしい。
ちなみに口絵のタイトルは「敵陣を急襲する島田戦車隊!!」で、この島田戦車隊を率いていた島田豊作少佐は我が群馬県の偉人の一人です。
そのご著作がこちら。
ああ、ボクも思い出すなぁ…
南方で戦った頃を…

というのはまたまたウソなんですが、本日をもって当ブログも6周年。
おかげさまで70000余のアクセスをいただくに至りました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
これは本当です!!!
今回の記事で帝國陸海軍の軍装に興味を持った方は、こちら本がイラスト中心でたいへんわかりやすいですよ。
ニューGIジョー ドイツ将校 【タカラ ニューGIジョー シリーズ ドイツ軍】
平成29年1月13日(金)は私の50回目の誕生日です。
昭和42年1月13日(金)の10時34分、日本赤十字社 前橋赤十字病院で生まれました。
当ブログでもよく話題にする空想特撮テレビ番組「ウルトラマン」のお話に沿って言うと昭和42年1月8日(日)に放映された「怪獣殿下 前篇」と同年1月15日(日)に放映された「怪獣殿下 後篇」の間に生まれたわけですから、怪獣好きもむべなるかな。
※「ウルトラマン」サブタイトルの“怪獣殿下”とは同作品に登場する怪獣好きの子供のあだ名です。
さて、今回はそんな怪獣のお話は少しおいておいて、ミリタリーフィギュアをご紹介したいと思います。

こちらがボクが長いこと遊んでいた“タカラ ニューGIジョー シリーズ ドイツ軍”の“ドイツ将校”です。

購入後、約45年、あまりに長いこと遊んでいたので、このように頭の塗装ははげてしまいました。
襟章も肩章も今から30年ほど前にそれ風に直してみました。
ついでに略綬リボンや“コンバットジョー”に付属していたものをつけました。
なのでオリジナルからは離れ、カスタムというほどの出来でもありません。
ご覧の様に…

そんなわけで後年と言っても就職の記念に購入したのがこちら。

下北沢のアンティークトイショップで初任給もらってすぐのゴールデンウィークに購入しました。

“タカラ ニューGIジョー シリーズ ドイツ軍”は、最初にご紹介した“ドイツ将校(No.7721)”、そしてこの“ドイツ兵(No.7720)”、さらに“ドイツ親衛隊(No.7722)”、“ドイツ戦車兵(No.7723)゛発売されていました。
なお“ドイツ軍戦車”としてヤークトパンター(ボクら世代には“ロンメル戦車”としておなじみ)を模したジャーマングレーの戦車が発売されていました。
箱の横に描かれたドイツ将校、気になりますよね。
じっくり箱を見てみましょう。

いかにも、というドイツ軍将校。
このイラストの下には解説文が書かれています。

“ドイツ陸軍の服装”、監修解説は兵器研究でおなじみの“小橋良夫”先生。
ボクもこちらの本をはじめ数冊、そのご著作を持っています。

「世界兵器図鑑Gun<日本編>」
その反対側の側面の上部。

ヘルメット、帽子、無線機等の写真の上に、「バズーカ砲・ライフル マシンガンなど…… 専用の銃器がいっぱい! ガンコレクションもできる。」と書かれています。
そしてその写真の下部。

ジープとサウンドマシンガンの広告が。
どちらも“最前線で戦う ひげのGIジョー”が一緒に写っています。
箱の裏はこんな感じです。

上から細かく見ていきます。

右上には本家“Hasbro”のパテントが書かれています。
その下の“だっこちゃんマークのタカラ”の商標も懐かしいですね。
GIジョーの売りの「21ヶ所でじゆうにうごく」の惹句がドイツ兵で再現されているの゛楽しいですね。
その下は…

「世界の軍服」シリーズ(素体なしの軍服、銃器、アクセサリーのセット)の紹介。
さらに…


※画像にはGIジョー電話完成とありますが、今かけても「やぁGIジョーだ」とは出てくれないと思うのでモザイク処理をしておきました。
こんな風に当時の広告を見ているとこれも見たくなるでしょう?

当時のカタログ(No2)です。
このカタログ、ボクは2種類所有していますが、ちょっと違っています。

画像の上の方のバージョンのカタログにはドイツ軍の項目をはじめ、「ミニガンリーズ」、「パラシュート兵」、「帰ってきたウルトラマン」、「マットたい員(ママ)」、「GIジョー秘密基地」の項目が印刷された紙が貼付されています。
今回はそのドイツ軍の項目をご紹介しましょう。

カタログそのものに発行年などは書かれていませんが、「帰ってきたウルトラマン」が新製品として告知されていることから、年代を仮に昭和46、7年とし、当時、売られていたものの値段を書いてみますね。
はがき 10円
手紙(25gまで) 20円
たいやき 30円
ラーメン 180円
長靴 1345円
※いずれも「値段の明治大正昭和風俗史」シリーズより
つまり“ニューGIジョー ドイツ将校”はラーメン10杯分ってことですね。
カタログ以外の付属品はこのようなシール。

※「WWIIドイツ軍兵器集」や「ドイツ軍ユニフォーム&個人装備マニュアル」<グリーンアロー出版社>によると、シール下段、左から“伍長勤務上等兵(勤続6年以上)”、“司令部付上等兵”、“伍長勤務上等兵(勤続6年以下)”という説明となってます。
そしてスターサービス貼付用の台紙。

素体は非売品だったのですね。
今とは大違いです。
と、まぁ約45年にわたってボクと一緒にいた戦友!“ニューGIジョー ドイツ将校”。
今では各関節を体内で引っ張っているゴムひもが劣化し立つこともままならない状態。
前に見ていただように頭もはげてしまっているし…。
そして不思議なことには、ボクの小学校時代の友人の兄が、ボクが止めたのにもかかわらず何度もほおリ投げてた挙句折ってしまった足首同様、ボクも足を怪我して慢性の関節炎になってしまいました。
※“ニューGIジョー ドイツ将校”の足はその後、コッツウォルド社の補修用パーツを付けました。
“ニューGIジョー ドイツ将校”もボクも年を取っていきますよね…。
ん!?

「なに、私に!?」

「はい。大先輩に敬意を表して…」
なんとこの一連の画像の撮影時、黒江家に来た新人サン“kumik female head 16-14”嬢が、“ニューGIジョー ドイツ将校”に縁のあるドイツ婦人部隊風の軍服を着ての花束の贈呈です。

黒江家にある300体近くの1/6フィギュアたちから割れんばかり拍手です。

「Danke schÖn」
「そうだ黒江くん、あの写真をみんなに見せてあげて」
これですか…

ボクらにも若い頃があったんだ…。
今から30年前、20歳の夏の思い出…。
本家“G.Iジョー”も含めた関連本のご紹介。
1.「G.I.ジョー大図鑑―1960&1990年代、黄金時代のG.I.ジョー大集合! (ワールド・ムック (131))」


もうこの本が発行されてから20年経つのですね。
※タカラの“ニューG.Iシジョー”には触れられていません。
2.「Real heroes―1/6スケールアクションフィギュア専門誌 (バウハウスムック)」


こちらは当時、発売されていた1/6フィギュアが中心の書籍です。
※タカラの“ニューG.Iシジョー”には触れられていません。
3.「スーパーフィギュア3最強捕獲―スター・ウォーズ/スポーン/ナイトメア他 (NEKO MOOK 16)」

この書籍には「G.I.JOEメンテナンス講座」というページがあり参考になります。ボクは怖くてできないけど。
4.「1970年大百科―永久保存版 (宝島)」


実はこの書籍にタカラの“ニューG.Iシジョー”が割と詳しく載っていたりします。
ということで、とうとう50代になってしまいましたが、今後ともよろしくお願いいたします。
昭和42年1月13日(金)の10時34分、日本赤十字社 前橋赤十字病院で生まれました。
当ブログでもよく話題にする空想特撮テレビ番組「ウルトラマン」のお話に沿って言うと昭和42年1月8日(日)に放映された「怪獣殿下 前篇」と同年1月15日(日)に放映された「怪獣殿下 後篇」の間に生まれたわけですから、怪獣好きもむべなるかな。
※「ウルトラマン」サブタイトルの“怪獣殿下”とは同作品に登場する怪獣好きの子供のあだ名です。
さて、今回はそんな怪獣のお話は少しおいておいて、ミリタリーフィギュアをご紹介したいと思います。

こちらがボクが長いこと遊んでいた“タカラ ニューGIジョー シリーズ ドイツ軍”の“ドイツ将校”です。

購入後、約45年、あまりに長いこと遊んでいたので、このように頭の塗装ははげてしまいました。
襟章も肩章も今から30年ほど前にそれ風に直してみました。
ついでに略綬リボンや“コンバットジョー”に付属していたものをつけました。
なのでオリジナルからは離れ、カスタムというほどの出来でもありません。
ご覧の様に…

そんなわけで後年と言っても就職の記念に購入したのがこちら。

下北沢のアンティークトイショップで初任給もらってすぐのゴールデンウィークに購入しました。

“タカラ ニューGIジョー シリーズ ドイツ軍”は、最初にご紹介した“ドイツ将校(No.7721)”、そしてこの“ドイツ兵(No.7720)”、さらに“ドイツ親衛隊(No.7722)”、“ドイツ戦車兵(No.7723)゛発売されていました。
なお“ドイツ軍戦車”としてヤークトパンター(ボクら世代には“ロンメル戦車”としておなじみ)を模したジャーマングレーの戦車が発売されていました。
箱の横に描かれたドイツ将校、気になりますよね。
じっくり箱を見てみましょう。

いかにも、というドイツ軍将校。
このイラストの下には解説文が書かれています。

“ドイツ陸軍の服装”、監修解説は兵器研究でおなじみの“小橋良夫”先生。
ボクもこちらの本をはじめ数冊、そのご著作を持っています。

「世界兵器図鑑Gun<日本編>」
その反対側の側面の上部。

ヘルメット、帽子、無線機等の写真の上に、「バズーカ砲・ライフル マシンガンなど…… 専用の銃器がいっぱい! ガンコレクションもできる。」と書かれています。
そしてその写真の下部。

ジープとサウンドマシンガンの広告が。
どちらも“最前線で戦う ひげのGIジョー”が一緒に写っています。
箱の裏はこんな感じです。

上から細かく見ていきます。

右上には本家“Hasbro”のパテントが書かれています。
その下の“だっこちゃんマークのタカラ”の商標も懐かしいですね。
GIジョーの売りの「21ヶ所でじゆうにうごく」の惹句がドイツ兵で再現されているの゛楽しいですね。
その下は…

「世界の軍服」シリーズ(素体なしの軍服、銃器、アクセサリーのセット)の紹介。
さらに…


※画像にはGIジョー電話完成とありますが、今かけても「やぁGIジョーだ」とは出てくれないと思うのでモザイク処理をしておきました。
こんな風に当時の広告を見ているとこれも見たくなるでしょう?

当時のカタログ(No2)です。
このカタログ、ボクは2種類所有していますが、ちょっと違っています。

画像の上の方のバージョンのカタログにはドイツ軍の項目をはじめ、「ミニガンリーズ」、「パラシュート兵」、「帰ってきたウルトラマン」、「マットたい員(ママ)」、「GIジョー秘密基地」の項目が印刷された紙が貼付されています。
今回はそのドイツ軍の項目をご紹介しましょう。

カタログそのものに発行年などは書かれていませんが、「帰ってきたウルトラマン」が新製品として告知されていることから、年代を仮に昭和46、7年とし、当時、売られていたものの値段を書いてみますね。
はがき 10円
手紙(25gまで) 20円
たいやき 30円
ラーメン 180円
長靴 1345円
※いずれも「値段の明治大正昭和風俗史」シリーズより
つまり“ニューGIジョー ドイツ将校”はラーメン10杯分ってことですね。
カタログ以外の付属品はこのようなシール。

※「WWIIドイツ軍兵器集」
そしてスターサービス貼付用の台紙。

素体は非売品だったのですね。
今とは大違いです。
と、まぁ約45年にわたってボクと一緒にいた戦友!“ニューGIジョー ドイツ将校”。
今では各関節を体内で引っ張っているゴムひもが劣化し立つこともままならない状態。
前に見ていただように頭もはげてしまっているし…。
そして不思議なことには、ボクの小学校時代の友人の兄が、ボクが止めたのにもかかわらず何度もほおリ投げてた挙句折ってしまった足首同様、ボクも足を怪我して慢性の関節炎になってしまいました。
※“ニューGIジョー ドイツ将校”の足はその後、コッツウォルド社の補修用パーツを付けました。
“ニューGIジョー ドイツ将校”もボクも年を取っていきますよね…。
ん!?

「なに、私に!?」

「はい。大先輩に敬意を表して…」
なんとこの一連の画像の撮影時、黒江家に来た新人サン“kumik female head 16-14”嬢が、“ニューGIジョー ドイツ将校”に縁のあるドイツ婦人部隊風の軍服を着ての花束の贈呈です。

黒江家にある300体近くの1/6フィギュアたちから割れんばかり拍手です。

「Danke schÖn」
「そうだ黒江くん、あの写真をみんなに見せてあげて」
これですか…

ボクらにも若い頃があったんだ…。
今から30年前、20歳の夏の思い出…。
本家“G.Iジョー”も含めた関連本のご紹介。
1.「G.I.ジョー大図鑑―1960&1990年代、黄金時代のG.I.ジョー大集合! (ワールド・ムック (131))」
もうこの本が発行されてから20年経つのですね。
※タカラの“ニューG.Iシジョー”には触れられていません。
2.「Real heroes―1/6スケールアクションフィギュア専門誌 (バウハウスムック)」
こちらは当時、発売されていた1/6フィギュアが中心の書籍です。
※タカラの“ニューG.Iシジョー”には触れられていません。
3.「スーパーフィギュア3最強捕獲―スター・ウォーズ/スポーン/ナイトメア他 (NEKO MOOK 16)」

この書籍には「G.I.JOEメンテナンス講座」というページがあり参考になります。ボクは怖くてできないけど。
4.「1970年大百科―永久保存版 (宝島)」
実はこの書籍にタカラの“ニューG.Iシジョー”が割と詳しく載っていたりします。
ということで、とうとう50代になってしまいましたが、今後ともよろしくお願いいたします。
ウィンストン・チャーチル 首相 【DID】
西暦2016年12月10日は、帝國海軍航空部隊が英国海軍の誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズおよびレパルスを撃沈させた“マレー沖海戦”から75周年を迎えます。
そこで今回は、時の大英帝國宰相、ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル卿を紹介します。

ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル卿は、1874年11月30日生まれのイギリスの軍人、政治家。
特に大戦期の1940年5月10日から1945年7月26日の期間、イギリスの首相を務めたことで知られています。
若い頃は特派員として動乱の世界を駆け巡り、1953年にノーベル文学賞を受賞。
彼の書いた「第二次世界大戦」は、黒江龍雄の小学校の図書館にも収められており小学生の黒江少年の愛読書でもありました…。

そもそもわが日本に好意的であったチャーチルですが、ヒトラー総統率いるドイツ軍の猛攻の前に、今次大戦に勝利するためにはアメリカを引き込む以外にないと考え、ついに日本と干戈を交えるに至ります。

チャーチルは深夜に仕事をするのが常でした。

卿がこの晩、5本目の葉巻に火をつけた時、

机上の電話がけたたましく鳴りました。

不吉な予感が卿を襲います。



愛犬も不安そうに飼い主を見つめます。

「二隻とも…、二隻とも航空機から攻撃で…。間違いないのだな」


卿は後に、この最新鋭戦艦二隻を失ったことが第二次大戦下で最も衝撃的な出来事だったと記しています。
その頃、わが日本では。

♪軍艦行進曲に続いて
「大本営海軍部発表(昭和十六年十月十日午後四時五分)
帝國海軍は開戦劈頭より英國東洋艦隊、特にその主力艦二隻の動静を注視しありたるところ、昨九日午後帝國海軍潜水艦は敵主力艦出動を発見、爾後帝国海軍航空隊と緊密なる協力の下に捜索中、本十日午前十一時半 マレー半島東岸クワンタン沖に於いて再び我が潜水艦これを確認せるをもつて、帝國海軍航空部隊は機を逸せず、これに対し勇猛果敢な攻撃を加へ 午後二時二十九分戦艦レパルスは瞬時にして轟沈し、同時に最新式戦艦プリンス・オブ・ウエールズは忽ち左に大傾斜、暫時遁走せるも間もなく午後二時五十分大爆発を起し遂に沈没せり、ここに開戦第三日にして早くも英国東洋艦隊主力は全滅するに至れり」
かくて…ニュース映画「日本ニユース」では


<以下、竹脇無我サンのご尊父・竹脇昌作サンの名調子でお読みください>
ユニオン・ジャック遠く去った常夏の島・ペナン島にいつにも増してはためく國旗、旭日旗。

そのペナン島に波高き印度洋を越えてやってきた英國使節団。

かくてペナン王宮で行われた日英会談。

瀕死の英國を救わんがため老躯に鞭打ってはせ参じた老宰相ウィンストン・チャーチル卿。

老宰相をねぎらう我が全権。

英國、東洋支配の牙城シンガポールすでになく、印度、緬甸に独立の国旗また翻る。

事ここに至り老宰相チャーチル卿は、ここに我が国に和を乞うた。

もとより大東亜戦争は建設の戦、平和を構築するための戦であり、太平洋の覇者、わが帝國になんの異存があろうか。

『昨日の敵は今日の友』
ともに世界の海を支配する二大海軍國の締結、ここに成る。

「 Tennou heika Banzai !」
チャーチル卿の発声による聖寿の萬歳。
かくて大東亜共栄圏の理想、八紘一宇の聖業はさらに大いなる一歩を進め、世界は新しい夜明けを迎えたのである!


「インドでの特殊権益はかろうじて守れたし、中近東は依然としてわが手にある。日本との講和はロンメルをエジプトの前で停止させ、フランコがジブラルタルを伺うのを阻止するであろう。この際、ドイツ軍と呼応してイランからコーカサスを目指すとするか…」
余裕のチャーチル卿でありました。
<おしまい>
そんなわけで小学校の図書館で借りていたチャーチル卿の著書が今は新装版で発売されてるようです。


反共の士ということもあり、敵国の宰相ですが割と好きなチャーチル。
この際、勉強してみようかしら。




そして今回使用した1/6のチャーチル。


小学生の頃、遠くの友達の家に遊びに行き、初めて入った模型屋さんで見つけてびっくりした“チャーチルクロコダイル火炎放射戦車”


当時は、1500円だったような気がします。
で、こちらは大学生の時に作った“チャーチル Mk.I 戦車”


これはまだ実家の書棚に飾ってあるはずです。
こうしてみるとやっぱりチャーチル好きかも。
その割には父親から教わったこの歌も歌ってましたけどね。
♪ルーズベルトのベルトが切れて チャーチル 散る散る 首が散る 首が散る~
そこで今回は、時の大英帝國宰相、ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル卿を紹介します。

ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル卿は、1874年11月30日生まれのイギリスの軍人、政治家。
特に大戦期の1940年5月10日から1945年7月26日の期間、イギリスの首相を務めたことで知られています。
若い頃は特派員として動乱の世界を駆け巡り、1953年にノーベル文学賞を受賞。
彼の書いた「第二次世界大戦」は、黒江龍雄の小学校の図書館にも収められており小学生の黒江少年の愛読書でもありました…。

そもそもわが日本に好意的であったチャーチルですが、ヒトラー総統率いるドイツ軍の猛攻の前に、今次大戦に勝利するためにはアメリカを引き込む以外にないと考え、ついに日本と干戈を交えるに至ります。

チャーチルは深夜に仕事をするのが常でした。

卿がこの晩、5本目の葉巻に火をつけた時、

机上の電話がけたたましく鳴りました。

不吉な予感が卿を襲います。



愛犬も不安そうに飼い主を見つめます。

「二隻とも…、二隻とも航空機から攻撃で…。間違いないのだな」


卿は後に、この最新鋭戦艦二隻を失ったことが第二次大戦下で最も衝撃的な出来事だったと記しています。
その頃、わが日本では。

♪軍艦行進曲に続いて
「大本営海軍部発表(昭和十六年十月十日午後四時五分)
帝國海軍は開戦劈頭より英國東洋艦隊、特にその主力艦二隻の動静を注視しありたるところ、昨九日午後帝國海軍潜水艦は敵主力艦出動を発見、爾後帝国海軍航空隊と緊密なる協力の下に捜索中、本十日午前十一時半 マレー半島東岸クワンタン沖に於いて再び我が潜水艦これを確認せるをもつて、帝國海軍航空部隊は機を逸せず、これに対し勇猛果敢な攻撃を加へ 午後二時二十九分戦艦レパルスは瞬時にして轟沈し、同時に最新式戦艦プリンス・オブ・ウエールズは忽ち左に大傾斜、暫時遁走せるも間もなく午後二時五十分大爆発を起し遂に沈没せり、ここに開戦第三日にして早くも英国東洋艦隊主力は全滅するに至れり」
かくて…ニュース映画「日本ニユース」では


<以下、竹脇無我サンのご尊父・竹脇昌作サンの名調子でお読みください>
ユニオン・ジャック遠く去った常夏の島・ペナン島にいつにも増してはためく國旗、旭日旗。

そのペナン島に波高き印度洋を越えてやってきた英國使節団。

かくてペナン王宮で行われた日英会談。

瀕死の英國を救わんがため老躯に鞭打ってはせ参じた老宰相ウィンストン・チャーチル卿。

老宰相をねぎらう我が全権。

英國、東洋支配の牙城シンガポールすでになく、印度、緬甸に独立の国旗また翻る。

事ここに至り老宰相チャーチル卿は、ここに我が国に和を乞うた。

もとより大東亜戦争は建設の戦、平和を構築するための戦であり、太平洋の覇者、わが帝國になんの異存があろうか。

『昨日の敵は今日の友』
ともに世界の海を支配する二大海軍國の締結、ここに成る。

「 Tennou heika Banzai !」
チャーチル卿の発声による聖寿の萬歳。
かくて大東亜共栄圏の理想、八紘一宇の聖業はさらに大いなる一歩を進め、世界は新しい夜明けを迎えたのである!


「インドでの特殊権益はかろうじて守れたし、中近東は依然としてわが手にある。日本との講和はロンメルをエジプトの前で停止させ、フランコがジブラルタルを伺うのを阻止するであろう。この際、ドイツ軍と呼応してイランからコーカサスを目指すとするか…」
余裕のチャーチル卿でありました。
<おしまい>
そんなわけで小学校の図書館で借りていたチャーチル卿の著書が今は新装版で発売されてるようです。
反共の士ということもあり、敵国の宰相ですが割と好きなチャーチル。
この際、勉強してみようかしら。
そして今回使用した1/6のチャーチル。
小学生の頃、遠くの友達の家に遊びに行き、初めて入った模型屋さんで見つけてびっくりした“チャーチルクロコダイル火炎放射戦車”
当時は、1500円だったような気がします。
で、こちらは大学生の時に作った“チャーチル Mk.I 戦車”
これはまだ実家の書棚に飾ってあるはずです。
こうしてみるとやっぱりチャーチル好きかも。
その割には父親から教わったこの歌も歌ってましたけどね。
♪ルーズベルトのベルトが切れて チャーチル 散る散る 首が散る 首が散る~
Vorwärts nach Osten!(東へ進め!) バルバロッサ作戦75周年記念 【Adolf Hitler 1940-1945ver :3R】
来る西暦2016年6月22日は、ドイツ軍、乾坤一擲の対ソ攻撃作戦“バルバロッサ作戦”発動から75周年を迎えます。
そんなわけで今回は、ソビエットの国策映画「レニングラード攻防戦
」風にまとめてみたいと思います。

「国境は人間によって作られ、そして人間によって変えられる」【アドルフ・ヒトラー,「わが闘争
」角川文庫,1973】
1939年9月 1日、ドイツ、ポーランド侵攻。
1939年9月17日、ソ連、ポーランド侵攻。
1939年9月27日、ワルシャワ陥落。
1940年1月12日、ソ連、フィンランド空襲
1940年6月14日、ドイツ軍、パリ入城。
1940年6月15日、イタリア、フランス侵攻。
1940年6月15日、ソ連、リトアニア侵攻。
1940年6月17日、ソ連、ラトビア・エストニア侵攻。
1940年6月28日、ソ連、ルーマニア侵攻。
世界が大きく動く中、ソビエット・ロシアは、日本が北進しないのを良いことに、東欧を一気に併呑しようとしました。
そして、1940年12月18日。
ベルリン首相官邸の一室…。

「Achtung!!」



「諸君! ボルシェビキどもの西進をこれ以上許すわけにはいかない」

「いよいよ開戦だ!」

「わたしはロシアを征服したいのではない。抹殺したいのだ!」

「座りたまえ」


「ロシアは分割して保護領とする」

「ウクライナは独立させる」

「バルト海沿岸と白ロシアは併合する」


「コーカサスの油田地帯はドイツ総督が支配する」


「この作戦は1ヶ月半から2ヶ月で終わるだろう」

「戦争の連続だと非難されるかもしれぬ」

「私は闘うためのドイツ軍を作り上げた」

「ソビエトがわが領土に侵攻するのは明白で、我が軍はこれを予防するために機先を制する」

「我々は腐ったドアをただ蹴破るだけだ!」

「戦車約3500両を含む地上兵力120個師団、300万名のドイツ兵、戦闘機、爆撃機など2800機の航空兵力がロシアを叩く。誰がこれを阻止できよう…」

〈次回「バルバロッサ作戦75周年記念-第2弾-」につづく〉
「そっちが来るなら、こちらもいくぜ!」

分捕り品の短機関銃を構えるソビエト海軍バルチック艦隊所属の海軍歩兵。
(映画「レニングラード攻防戦」に登場する海軍歩兵をモデルにしました)

映画「レニングラード攻防戦」パンフレット【黒江龍雄:蔵】
映画の方は昨年、ニューマスター版が登場したようです。


ニューマスター版も良いけれど、本当に良いのは、テレビ東京で放映された“2時のロードショー”版。
こちらは、ヒトラー総統が、日本語で本記事に記したような台詞を話すのに加え、前編124分が80分程度にまとめられているのです。
そんなわけで今回は、ソビエットの国策映画「レニングラード攻防戦

「国境は人間によって作られ、そして人間によって変えられる」【アドルフ・ヒトラー,「わが闘争
1939年9月 1日、ドイツ、ポーランド侵攻。
1939年9月17日、ソ連、ポーランド侵攻。
1939年9月27日、ワルシャワ陥落。
1940年1月12日、ソ連、フィンランド空襲
1940年6月14日、ドイツ軍、パリ入城。
1940年6月15日、イタリア、フランス侵攻。
1940年6月15日、ソ連、リトアニア侵攻。
1940年6月17日、ソ連、ラトビア・エストニア侵攻。
1940年6月28日、ソ連、ルーマニア侵攻。
世界が大きく動く中、ソビエット・ロシアは、日本が北進しないのを良いことに、東欧を一気に併呑しようとしました。
そして、1940年12月18日。
ベルリン首相官邸の一室…。

「Achtung!!」



「諸君! ボルシェビキどもの西進をこれ以上許すわけにはいかない」

「いよいよ開戦だ!」

「わたしはロシアを征服したいのではない。抹殺したいのだ!」

「座りたまえ」


「ロシアは分割して保護領とする」

「ウクライナは独立させる」

「バルト海沿岸と白ロシアは併合する」


「コーカサスの油田地帯はドイツ総督が支配する」


「この作戦は1ヶ月半から2ヶ月で終わるだろう」

「戦争の連続だと非難されるかもしれぬ」

「私は闘うためのドイツ軍を作り上げた」

「ソビエトがわが領土に侵攻するのは明白で、我が軍はこれを予防するために機先を制する」

「我々は腐ったドアをただ蹴破るだけだ!」

「戦車約3500両を含む地上兵力120個師団、300万名のドイツ兵、戦闘機、爆撃機など2800機の航空兵力がロシアを叩く。誰がこれを阻止できよう…」

〈次回「バルバロッサ作戦75周年記念-第2弾-」につづく〉
「そっちが来るなら、こちらもいくぜ!」

分捕り品の短機関銃を構えるソビエト海軍バルチック艦隊所属の海軍歩兵。
(映画「レニングラード攻防戦」に登場する海軍歩兵をモデルにしました)

映画「レニングラード攻防戦」パンフレット【黒江龍雄:蔵】
映画の方は昨年、ニューマスター版が登場したようです。
ニューマスター版も良いけれど、本当に良いのは、テレビ東京で放映された“2時のロードショー”版。
こちらは、ヒトラー総統が、日本語で本記事に記したような台詞を話すのに加え、前編124分が80分程度にまとめられているのです。
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