呉-帝國海軍の足跡を訪ねて-
黒江家恒例の夏の父子旅行。
今年は広島県、呉市に行ってきました。
きっかけは、BSジャパンで放映されている「空から日本を見てみよう plus」の「呉〜瀬戸内海の島々」でした。
“くもじい”と“くもみ”のように空を飛んでいけないので、新幹線を乗り継いで行ってきました。
どこに行ってもゲーム機を手放さない息子は新幹線の座席の下にコンセントが付いているのを発見し安心しきってゲームをしておりました。
初日は観光旅行らしく広島から宮島へ出て、ユネスコの世界文化遺産に登録された“厳島神社”を参拝してきました。
そして宮島から高速艇に乗り広島は宇品港、そして船を乗り継ぎ呉港へと向かいました。
19時頃、ホテル入りし、翌日はいよいよこちらへ行ってきました。

《大和ミュージアム》
正式には“呉市海事歴史科学館”なのですが、やはり一番の見所は1/10の戦艦大和!

この迫力!
はるばる出かけていった甲斐があったというものです。

大和型戦艦の最大の特徴、帝国海軍が世界に誇る45口径46cm3連装砲塔!
いつまでも見ていられます。
ちなみに後ろにちらっと見える軍艦旗は、戦艦長門の軍艦旗。
兵ちゃんこと石坂浩二サンが購入して寄贈した本物です。

戦艦大和の他にも、零式艦上戦闘機六二型(画像左奥)、栄エンジン(零戦のプロペラ前)、特殊潜航艇「海龍」(画像右手前)、九一式徹甲弾等の砲弾(画像右奥)等が展示されています。さすが。
《海上自衛隊呉史料館》
大和ミュージアム来館者駐車場の2階にある“呉 ハイカラ食堂 日招きの里”で遅めの昼食である海軍カレーを食べたボク達はつづいて、海上自衛隊呉史料館“てつのくじら館”に向かいました。

やはり陸に上がった潜水艦は目立ちますね。
この潜水艦は“ゆうしお型潜水艦 あきしお”だそうです。
海上自衛隊呉史料館では、この“あきしお”の内部を見学できるほかに、海上自衛隊の歴史やシーレーン防御の重要性について学べます。

ということで、こちらに展示されている掃海艇や掃海艇の装備などが展示してあります。
こちらは機雷破壊用としても使える機関銃。(陸軍式に言うなら機関砲?)
余談ですが、夏休み、息子の地理の問題集を見ていました。
ボクが中学、高校の頃に比べて、“領土”、“領海”について学習内容が豊富になってきている印象です。
北方四島の事なんてボクの頃はタブー扱いでしたから…。
海路を絶たれた日本がどうなるか、息子も再確認できたことと思います。

“あきしお”の中ではこんな体験も。
「目標、ヴァリャーグ型空母。魚雷、発射用意、テーッ!」
海上自衛隊の制服を着ての撮影コーナーやお土産コーナーも充実していて、息子は自分の名前と同じ字の入っている護衛艦のキャップを購入しました。
《海軍兵学校》
最終日、帝國海軍の足跡を訪ねて向かった先は江田島にある海軍兵学校(現:海上自衛隊第1術科学校)。
ボク達は海路、江田島に向かうこととしました。
呉の港の船のチケット売り場に行くと自営立ての説明時間とリンクしている船の出発時間が書かれていてたいへんわかりやすく便利です。
呉の港からフェリーで約30分。
途中、護衛艦なども間近に見られ海なし県に生まれ育ったボクは甲板に立ってあちこち見ている間にすぐに江田島に着いてしまいました。
そこからバスで15分程度で、海上自衛隊第1術科学校に着きます。

「古鷹山下 水清く 松風の音 冴ゆる時」
と、「江田島健児の歌」に歌われた古鷹山が出迎えてくれました。
さほど待たずに見学班出発。
引率は自衛官OBの方で、なかなかお上手です。

教育参考館。
東郷元帥のご遺髪はこちらにあります。
映画「ハワイ・マレー沖海戦」に倣ってボクら父子も最敬礼。
※ちなみに館内は撮影禁止。
当然ながら、脱帽でサンダル履きでの入館は許可されません。
(見学前に靴を貸してくれますが夏場に行かれる方はハーフパンツ、サンダルでは行かないようにしましょう)

そして有名な“赤煉瓦”こと海軍兵学校生徒館。
海軍の施設はきれいに残っていていいなぁ。
その後、雨に降られて時間も乏しくなってきたため、写真があまり撮れませんでしたが、呉鎮守府司令長官官舎(入船山記念館)にも行ってきました。
案内のボランティアの方が時間まで熱心に説明してくださいました。
《dabuwanさんとのオフ会》
また今回の呉旅行ではこうした帝國海軍の足跡を訪ねるほかにも楽しみだったことがあります。
それは、当ブログのリンク先の一つでもあるブログ“1/6の景色”を主催されているdabuwanさんとのオフ会です。
宿泊先のホテルのロビーで待ち合わせました。
そして市内のレストランに移動して、お食事をしながら、写真談義で盛り上がりました。
PCを持って来ていただき、そこに画像を出しながら、撮影秘話を伺いましたが、まるで写真教室を受講しているようで大変勉強になりました。
また記念にと言うことで、dabuwanさんが撮影された画像の入ったカードもいただきました

帰宅後、鞘香ちゃんに見せましたところ、大変喜んでおりました。
dabuwanさん、本当にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
そんなわけでとても楽しい2泊3日の旅行でした。
で、今回の旅行で大変役に立った本がこちら。
こっちも読んでおけば良かった… ってのがこちら。
また行きたいなぁ。
今年は広島県、呉市に行ってきました。
きっかけは、BSジャパンで放映されている「空から日本を見てみよう plus」の「呉〜瀬戸内海の島々」でした。
“くもじい”と“くもみ”のように空を飛んでいけないので、新幹線を乗り継いで行ってきました。
どこに行ってもゲーム機を手放さない息子は新幹線の座席の下にコンセントが付いているのを発見し安心しきってゲームをしておりました。
初日は観光旅行らしく広島から宮島へ出て、ユネスコの世界文化遺産に登録された“厳島神社”を参拝してきました。
そして宮島から高速艇に乗り広島は宇品港、そして船を乗り継ぎ呉港へと向かいました。
19時頃、ホテル入りし、翌日はいよいよこちらへ行ってきました。

《大和ミュージアム》
正式には“呉市海事歴史科学館”なのですが、やはり一番の見所は1/10の戦艦大和!

この迫力!
はるばる出かけていった甲斐があったというものです。

大和型戦艦の最大の特徴、帝国海軍が世界に誇る45口径46cm3連装砲塔!
いつまでも見ていられます。
ちなみに後ろにちらっと見える軍艦旗は、戦艦長門の軍艦旗。
兵ちゃんこと石坂浩二サンが購入して寄贈した本物です。

戦艦大和の他にも、零式艦上戦闘機六二型(画像左奥)、栄エンジン(零戦のプロペラ前)、特殊潜航艇「海龍」(画像右手前)、九一式徹甲弾等の砲弾(画像右奥)等が展示されています。さすが。
《海上自衛隊呉史料館》
大和ミュージアム来館者駐車場の2階にある“呉 ハイカラ食堂 日招きの里”で遅めの昼食である海軍カレーを食べたボク達はつづいて、海上自衛隊呉史料館“てつのくじら館”に向かいました。

やはり陸に上がった潜水艦は目立ちますね。
この潜水艦は“ゆうしお型潜水艦 あきしお”だそうです。
海上自衛隊呉史料館では、この“あきしお”の内部を見学できるほかに、海上自衛隊の歴史やシーレーン防御の重要性について学べます。

ということで、こちらに展示されている掃海艇や掃海艇の装備などが展示してあります。
こちらは機雷破壊用としても使える機関銃。(陸軍式に言うなら機関砲?)
余談ですが、夏休み、息子の地理の問題集を見ていました。
ボクが中学、高校の頃に比べて、“領土”、“領海”について学習内容が豊富になってきている印象です。
北方四島の事なんてボクの頃はタブー扱いでしたから…。
海路を絶たれた日本がどうなるか、息子も再確認できたことと思います。

“あきしお”の中ではこんな体験も。
「目標、ヴァリャーグ型空母。魚雷、発射用意、テーッ!」
海上自衛隊の制服を着ての撮影コーナーやお土産コーナーも充実していて、息子は自分の名前と同じ字の入っている護衛艦のキャップを購入しました。
《海軍兵学校》
最終日、帝國海軍の足跡を訪ねて向かった先は江田島にある海軍兵学校(現:海上自衛隊第1術科学校)。
ボク達は海路、江田島に向かうこととしました。
呉の港の船のチケット売り場に行くと自営立ての説明時間とリンクしている船の出発時間が書かれていてたいへんわかりやすく便利です。
呉の港からフェリーで約30分。
途中、護衛艦なども間近に見られ海なし県に生まれ育ったボクは甲板に立ってあちこち見ている間にすぐに江田島に着いてしまいました。
そこからバスで15分程度で、海上自衛隊第1術科学校に着きます。

「古鷹山下 水清く 松風の音 冴ゆる時」
と、「江田島健児の歌」に歌われた古鷹山が出迎えてくれました。
さほど待たずに見学班出発。
引率は自衛官OBの方で、なかなかお上手です。

教育参考館。
東郷元帥のご遺髪はこちらにあります。
映画「ハワイ・マレー沖海戦」に倣ってボクら父子も最敬礼。
※ちなみに館内は撮影禁止。
当然ながら、脱帽でサンダル履きでの入館は許可されません。
(見学前に靴を貸してくれますが夏場に行かれる方はハーフパンツ、サンダルでは行かないようにしましょう)

そして有名な“赤煉瓦”こと海軍兵学校生徒館。
海軍の施設はきれいに残っていていいなぁ。
その後、雨に降られて時間も乏しくなってきたため、写真があまり撮れませんでしたが、呉鎮守府司令長官官舎(入船山記念館)にも行ってきました。
案内のボランティアの方が時間まで熱心に説明してくださいました。
《dabuwanさんとのオフ会》
また今回の呉旅行ではこうした帝國海軍の足跡を訪ねるほかにも楽しみだったことがあります。
それは、当ブログのリンク先の一つでもあるブログ“1/6の景色”を主催されているdabuwanさんとのオフ会です。
宿泊先のホテルのロビーで待ち合わせました。
そして市内のレストランに移動して、お食事をしながら、写真談義で盛り上がりました。
PCを持って来ていただき、そこに画像を出しながら、撮影秘話を伺いましたが、まるで写真教室を受講しているようで大変勉強になりました。
また記念にと言うことで、dabuwanさんが撮影された画像の入ったカードもいただきました

帰宅後、鞘香ちゃんに見せましたところ、大変喜んでおりました。
dabuwanさん、本当にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
そんなわけでとても楽しい2泊3日の旅行でした。
で、今回の旅行で大変役に立った本がこちら。
![]() | 呉・江田島歴史読本―読む・見る・歩くおとなのための街歩きガイドブック (別冊歴史読本 62) (2013/03/21) 不明 商品詳細を見る |
こっちも読んでおけば良かった… ってのがこちら。
![]() | 呉・江田島・広島 戦争遺跡ガイドブック (2009/08) 奥本 剛 商品詳細を見る |
また行きたいなぁ。
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クラウス・フォン・シュタウフェンベルク
2014年7月20日は、ヒトラー総統暗殺未遂事件、いわゆる“7月20日事件”から70年となります。。
そこで、この事件の中心人物、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐を取り上げることとしました。

クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、1907年、プロイセン参謀本部の創設者であるアウグスト・フォン・グナイゼナウ元帥の流れをくむ伯爵家に生まれます。
1926年にはヴァイマール共和国の第17騎兵連隊に入営。
共和国の軍隊なんて…と親族からは反対があったようですが、騎兵を選べるのは裕福な貴族であればこそなのでしょう。
やがてヴァイマール共和国軍はドイツ第3帝國国防軍となり、そんな時代の流れの中で、シュタウフェンベルク大佐は参謀畑を歩んでいくこととなります…。

大戦もたけなわの1943年、参謀中佐となったシュタウフェンベルク大佐は、北アフリカ戦線でイギリス軍機の機銃掃射により右手の手首から先、左手の薬指、小指そして左目を失ってしまいます。

傷が癒えたシュタウフェンベルク大佐は国内予備軍一般軍務局参謀長の任に着きます。
この役職はドイツ国内の予備軍の結集と動員に関する命令「ヴァルキューレ作戦」の立案をする職務であり、この「ヴァルキューレ作戦」が、そのままヒトラー総統排除後の行動作戦計画として利用されていくこととなります。
この当時のシュタウフェンベルク大佐の軍装について少し。
(基本的には商品として売られていたままを使用していますが…)
将校用の制帽はカーマインレッドのパイピングがされています。
この色は参謀将校を示す兵科色です。
襟章、肩章もやはり同様にカーマインレッドとなっています。
乗馬ズボンは側面部分に赤い2本の側章がはいっており、将官以外では参謀将校のデザインとなっています。

1944年6月6日、米英の連合軍がフランスノルマンディ海岸に上陸します。
東部戦線の戦況もドイツ軍は守勢に回る事が多くなってきます。
そうして、いよいよドイツの敗色が濃厚になってくると、ヒトラー総統排除の動きも活発になり、名のある将官達も動き始めるようになります。
そんな中で傷痍軍人でもあり、国内予備軍の参謀でもあるシュタウフェンベルク大佐が、総統暗殺の実行役として選ばれることとなっていきます。

さて、その暗殺方法とは、東プロイセンはラステンブルクにある総統大本営、所謂“狼の砦”の地下会議室で行われる作戦会議の席上で爆弾を爆発させること。
そのために用意されたのは、ドイツ占領下のレジスタンス向けに作られたイギリス製の爆弾。
金色の筒状の物が信管で、その部分に入っている酸を滲出させることにより金属が腐食し起爆する仕組みとなっています。
右手に置いてあるペンチは手の不自由なシュタウフェンベルク大佐にも使えるように改造してあるペンチです。

暗殺準備を整えたシュタウフェンベルク大佐は、ベルリンより飛行機、車と乗り継ぎ、総統のいる東プロイセンのラステンブルクへ。

爆弾の入った鞄を持っており立つシュタウフェンベルク大佐。
この鞄を地下会議室で作戦会議中の総統の足下に置いて爆発させるのだ…。
ところが、酷暑のため、作戦会議は周囲をコンクリートで囲った地下会議室ではなく、地上の木造の会議室へと変更されてしまいます。
今更計画を変更するわけにはいかないシュタウフェンベルク大佐は、こっそりと信管を作動させると、爆薬の入った鞄を総統の足下付近に置きます…。
そして「電話をかけてくる」と告げると一人、作戦会議室をあとに…。
やがて爆発!

総統大本営を後にしたシュタウフェンベルク大佐はベルリンはベントラー街にある陸軍総司令部にとって返すと各地の同志に檄を飛ばします。
ところが…

この計画は初期の段階で躓いてしまっていたのです。
なぜなら…。
ということで、果たしてシュタウフェンベルク大佐の計画は成功するのか、ヒトラー総統の運命は…。
結びに、本稿執筆にあたり、参考にさせていただいたの資料をご紹介しておきたいと思います。
ヒトラー暗殺事件―世界を震撼させた陰謀 (1972年) (第二次世界大戦ブックス〈31〉)
こちらは昔々の第二次世界大戦ブックスシリーズの1冊。
思えば、この本と、映画「ヨーロッパの解放 」の中の総統暗殺事件の1シーンが、この事件の原風景かも。
なんて思い出していたら、最近は、こんなDVDセットも発売されているのですね。
このバージョンなら、あの「ヨーロッパの解放」を通しで見ても眠くならないかも…。
また定番と言えるのがこちら。
書棚を確認したら、ボクのはまだ中公新書にビニールのカバーが掛かっている頃の初版でした。
そして最近出た本の中からはこちら。
この「7月20日事件」をはじめ各種の計画とその顛末が、最新の情報を元に書かれています。今のところの決定版と言えるかも。
また映像作品となるとこちら…。
この作品は息子と映画館に見に行きましたが、劇場内はガラガラで、当時8歳の息子を連れたボク、トム・クルーズ目当ての女子2人組、というおよそ戦争映画には似つかわしくない面々で鑑賞していたのを覚えています。
こちらはドイツの公共放送ARDが製作したテレビ映画のため、我が国では劇場未公開。なのでDVDを購入して自宅で鑑賞しました。当時4歳の息子と一緒に。
これを見た後、息子が部屋に入るたびに「ハイル・ヒットラー」、出るたびに「出る・ヒットラー」と言ってました。
日本語吹き替え版も入っていて話もわかりやすく幼稚園児のお子さんと一緒に見るにはおすすめです。
続いて「」銘打たれ鳴り物入りで発売されたこのシリーズ。
そんなシリーズのラインナップには、ヒトラー総統暗殺計画を扱った2作品があります。
コンパクトにまとめられているのと、モノクロ映画なので実写場面との融合がさほど違和感なく鑑賞することができます。
ちなみに、この映画でシュタウフェンベルク大佐を演じているベルンハルト・ヴィッキは、名作「橋」やオールスター映画としても知られる「史上最大の作戦」のドイツ側監督でもあります。
そしてもう1作がこちら。
総統爆破計画 [DVD]
こちらでは、あまたの映画でドイツ軍の将校や将軍役を演じているウォルフガング・プライスがシュタウフェンベルク大佐を演じています。
架空の人物が登場するなど、どちらかというとフィクション色が強い1作。
そんなわけで、戦争は始めるのも大変ですが、終わりにするのも大変ですよね。
やっぱりしない方がいいですねぇと終戦記念日のある8月の記事らしくまとめてみたいと思います。
「平和への道 國防一つ」
そこで、この事件の中心人物、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐を取り上げることとしました。

クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、1907年、プロイセン参謀本部の創設者であるアウグスト・フォン・グナイゼナウ元帥の流れをくむ伯爵家に生まれます。
1926年にはヴァイマール共和国の第17騎兵連隊に入営。
共和国の軍隊なんて…と親族からは反対があったようですが、騎兵を選べるのは裕福な貴族であればこそなのでしょう。
やがてヴァイマール共和国軍はドイツ第3帝國国防軍となり、そんな時代の流れの中で、シュタウフェンベルク大佐は参謀畑を歩んでいくこととなります…。

大戦もたけなわの1943年、参謀中佐となったシュタウフェンベルク大佐は、北アフリカ戦線でイギリス軍機の機銃掃射により右手の手首から先、左手の薬指、小指そして左目を失ってしまいます。

傷が癒えたシュタウフェンベルク大佐は国内予備軍一般軍務局参謀長の任に着きます。
この役職はドイツ国内の予備軍の結集と動員に関する命令「ヴァルキューレ作戦」の立案をする職務であり、この「ヴァルキューレ作戦」が、そのままヒトラー総統排除後の行動作戦計画として利用されていくこととなります。
この当時のシュタウフェンベルク大佐の軍装について少し。
(基本的には商品として売られていたままを使用していますが…)
将校用の制帽はカーマインレッドのパイピングがされています。
この色は参謀将校を示す兵科色です。
襟章、肩章もやはり同様にカーマインレッドとなっています。
乗馬ズボンは側面部分に赤い2本の側章がはいっており、将官以外では参謀将校のデザインとなっています。

1944年6月6日、米英の連合軍がフランスノルマンディ海岸に上陸します。
東部戦線の戦況もドイツ軍は守勢に回る事が多くなってきます。
そうして、いよいよドイツの敗色が濃厚になってくると、ヒトラー総統排除の動きも活発になり、名のある将官達も動き始めるようになります。
そんな中で傷痍軍人でもあり、国内予備軍の参謀でもあるシュタウフェンベルク大佐が、総統暗殺の実行役として選ばれることとなっていきます。

さて、その暗殺方法とは、東プロイセンはラステンブルクにある総統大本営、所謂“狼の砦”の地下会議室で行われる作戦会議の席上で爆弾を爆発させること。
そのために用意されたのは、ドイツ占領下のレジスタンス向けに作られたイギリス製の爆弾。
金色の筒状の物が信管で、その部分に入っている酸を滲出させることにより金属が腐食し起爆する仕組みとなっています。
右手に置いてあるペンチは手の不自由なシュタウフェンベルク大佐にも使えるように改造してあるペンチです。

暗殺準備を整えたシュタウフェンベルク大佐は、ベルリンより飛行機、車と乗り継ぎ、総統のいる東プロイセンのラステンブルクへ。

爆弾の入った鞄を持っており立つシュタウフェンベルク大佐。
この鞄を地下会議室で作戦会議中の総統の足下に置いて爆発させるのだ…。
ところが、酷暑のため、作戦会議は周囲をコンクリートで囲った地下会議室ではなく、地上の木造の会議室へと変更されてしまいます。
今更計画を変更するわけにはいかないシュタウフェンベルク大佐は、こっそりと信管を作動させると、爆薬の入った鞄を総統の足下付近に置きます…。
そして「電話をかけてくる」と告げると一人、作戦会議室をあとに…。
やがて爆発!

総統大本営を後にしたシュタウフェンベルク大佐はベルリンはベントラー街にある陸軍総司令部にとって返すと各地の同志に檄を飛ばします。
ところが…

この計画は初期の段階で躓いてしまっていたのです。
なぜなら…。
ということで、果たしてシュタウフェンベルク大佐の計画は成功するのか、ヒトラー総統の運命は…。
結びに、本稿執筆にあたり、参考にさせていただいたの資料をご紹介しておきたいと思います。
ヒトラー暗殺事件―世界を震撼させた陰謀 (1972年) (第二次世界大戦ブックス〈31〉)
こちらは昔々の第二次世界大戦ブックスシリーズの1冊。
思えば、この本と、映画「ヨーロッパの解放 」の中の総統暗殺事件の1シーンが、この事件の原風景かも。
なんて思い出していたら、最近は、こんなDVDセットも発売されているのですね。
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このバージョンなら、あの「ヨーロッパの解放」を通しで見ても眠くならないかも…。
また定番と言えるのがこちら。
![]() | ヒトラー暗殺計画 (中公新書 (744)) (1984/10) 小林 正文 商品詳細を見る |
書棚を確認したら、ボクのはまだ中公新書にビニールのカバーが掛かっている頃の初版でした。
そして最近出た本の中からはこちら。
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この「7月20日事件」をはじめ各種の計画とその顛末が、最新の情報を元に書かれています。今のところの決定版と言えるかも。
また映像作品となるとこちら…。
![]() | ワルキューレ プレミアム・エディション [DVD] (2009/07/24) トム・クルーズ、ケネス・ブラナー 他 商品詳細を見る |
この作品は息子と映画館に見に行きましたが、劇場内はガラガラで、当時8歳の息子を連れたボク、トム・クルーズ目当ての女子2人組、というおよそ戦争映画には似つかわしくない面々で鑑賞していたのを覚えています。
![]() | オペレーション・ワルキューレ [DVD] (2005/03/04) セバスチャン・コッホ、ウルリッヒ・トゥクール 他 商品詳細を見る |
こちらはドイツの公共放送ARDが製作したテレビ映画のため、我が国では劇場未公開。なのでDVDを購入して自宅で鑑賞しました。当時4歳の息子と一緒に。
これを見た後、息子が部屋に入るたびに「ハイル・ヒットラー」、出るたびに「出る・ヒットラー」と言ってました。
日本語吹き替え版も入っていて話もわかりやすく幼稚園児のお子さんと一緒に見るにはおすすめです。
続いて「」銘打たれ鳴り物入りで発売されたこのシリーズ。
そんなシリーズのラインナップには、ヒトラー総統暗殺計画を扱った2作品があります。
![]() | ヒトラー暗殺 [DVD] (2004/07/23) ベルナルド・ヴィッキ 商品詳細を見る |
コンパクトにまとめられているのと、モノクロ映画なので実写場面との融合がさほど違和感なく鑑賞することができます。
ちなみに、この映画でシュタウフェンベルク大佐を演じているベルンハルト・ヴィッキは、名作「橋」やオールスター映画としても知られる「史上最大の作戦」のドイツ側監督でもあります。
そしてもう1作がこちら。
総統爆破計画 [DVD]
こちらでは、あまたの映画でドイツ軍の将校や将軍役を演じているウォルフガング・プライスがシュタウフェンベルク大佐を演じています。
架空の人物が登場するなど、どちらかというとフィクション色が強い1作。
そんなわけで、戦争は始めるのも大変ですが、終わりにするのも大変ですよね。
やっぱりしない方がいいですねぇと終戦記念日のある8月の記事らしくまとめてみたいと思います。
「平和への道 國防一つ」