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    水師営【日露戦争】

    今年、平成27年(西暦2015年)は日露戦争の勝利から110年目となります。

    そこで折に触れて、かつて行った旅順・大連で撮影した写真を公開していきたいと思っています。

    第1回目の今回は旅順開城110周年を記念して“水師営”の様子をご紹介したいと思います。

    その前に、まずはこちら“二百三高地”から。

    水師営01

    日清戦争の勝利で、わが領土となった遼東半島。
    ところが不凍港そしてアジアへの進出を虎視眈々と狙っていた帝政ロシアは、フランスとドイツを誘って、遼東半島を日本が手中に収めることは、東洋平和に害がある、我が国に対し、いわゆる“三国干渉”を行ってきます。

    当時の日本は、ロシア、フランス、ドイツを向こうに回しての戦争はできず、やむなく、この“三国干渉”を受け入れ、遼東半島を手放します。

    ところが、ロシアはその遼東半島を租借地とし、旅順の名ををロシア語の“ダルニー”に改め、ここに東洋一と言われる一大要塞を建設します。
    さらに、その旅順港を根拠地とした太平洋艦隊(旅順艦隊)を編成し、我が国をますます圧迫してきます。

    加えて義和団事件が起こると、そのどさくさに紛れて満州にどしどし兵力を送り、他方、シベリア鉄道の複線化をはかり、満州、朝鮮そして我が国の独立をも脅かそうとしていました。

    このような経緯の中、やむなく我が国はロシアの野望を粉砕し東洋の安定を図るため、ロシアと干戈を交えるに至りました。

    大陸での作戦を続行するには“陛下の浴槽”日本海の制海権を維持し、兵員・物資を安全に大陸に輸送しなければならないのですが、ロシアは旅順艦隊と浦塩艦隊と使って日本の輸送船を襲ってきました。

    そうはさせじと帝国聯合艦隊は浦塩艦隊と旅順艦隊をたたきます。
    浦塩艦隊は蔚山沖海戦で撃滅させますが、黄海海戦で撃ち漏らした旅順艦隊の方は、この黄海海戦以降、湾内深く潜んで、艦隊決戦に応じようとしません。

    そんな中、劣勢を挽回するべくロシアはバルチック艦隊と黒海艦隊を太平洋に差し向けてきました。

    いかに帝国聯合艦隊が優れているとは言え、このような大艦隊を前に二正面作戦ができるはずもなく、陸軍がその背後から旅順艦隊を叩くことなりました…。旅順要塞を陥落させて…。

    ここで日露両軍により歴史に名高い“旅順攻城戦”が行われることになります。

    そして、その“旅順攻防戦”における最大の激戦地と言われているのが、この写真にある海抜203メートルの高地、“二百三高地”でした。




    水師営02

    「鐵血 山を覆ひ 山形改まる」
    乃木大将がこう詩に詠まれ、日露両軍の兵士の亡骸で埋まったその斜面は、今ではこうして楽に登ることができます。




    水師営03

    その“二百三高地”の頂に今も残る忠魂碑。

    大将・乃木希典将軍により“二百三高地”は爾の御霊の山、かなわち“爾霊山”と呼ばれるようになります。




    その“爾霊山”から旅順港を見下ろすと…。

    水師営04

    ここからの観測による“二十八糎砲”の射撃により、旅順艦隊は全滅し、聯合艦隊は後顧の憂いなく補給、修理を行うことができ、世界戦史にその類を見ない、“日本海海戦”の大勝利へと繋がっていくわけです。

    ※現在では旅順艦隊の全滅と二百三高地の観測地点奪取との直接の因果関係は否定されているものの現地に立って見下ろせば、彼我の優位の差は歴然で、ロシア海軍における旅順港の価値はなくなったと言っても良いでしょう。




    そして1905年1月1日16時。
    ロシア関東軍司令官、ステッセルはここに、我が乃木第3軍に和を乞い、旅順要塞を開城することとなりました。

    そして日露両将の会見の場所が、この水師営(もともとは清国の海軍、根拠地の意)です。

    水師営05

    歌人・佐佐木信綱による唱歌「水師営の会見」や修身の教科書でも広く人口に膾炙した有名な会見です。




    その唱歌「水師営の会見」の2番『庭に一本なつめの木 弾丸あとも いちぢるく』と歌われている“ナツメの木”

    水師営06

    この写真の木は、当時の木ではなく、この水師営会見場を整備するにあたり新しく植えられたものだそうです。




    やはり唱歌「水師営の会見」の2番『くずれ残れる民屋に いまぞ相見る二将軍』と歌われているその農家。
    一説には野戦包帯所だったとも言われています。

    水師営07

    この会見時、 明治大帝の聖旨により、今は敗軍の将となった敵将ステッセルとその幕僚には帯剣と勲章の着用が許されています。

    会見の中、ステッセル将軍は姿勢を正すと、乃木将軍に「この方面の戦闘でお二人のお子さんが戦死されたと伺いました」と哀悼の意を表します。

    それに対し乃木将軍は「二人のわが子はそれぞれに死所を得たと喜んでいます。これこそ武門も面目です」と力強く答えますが、心中はいかばかりだったでしょう。




    会見場は決して広い場所ではありません。

    そして歌詞にもあるように彼我の砲撃に曝され崩れ残った粗末な民家です。
    穴の空いた壁は応急処置として新聞紙で覆われていました。
    会見前にそれを見た乃木将軍は、我が軍の勝利が報じられている新聞をロシア軍に見せるのに忍びずとして白い布で覆わせたと伝えられており、その白布も再現されています。

    水師営08

    この会見に先立ち、アメリカの映画技師が、勝者である乃木将軍と敗者のステッセルの記録を撮らせて欲しいと申し出ます。

    ところが乃木将軍はこれを制し、会見終了後には敵も味方もなくなる、全員軍人として同列になったところなら1枚だけ写真を撮っても良い、と告げます。

    その写真が「会見場」と書かれた木札の上の写真です。




    奇しくも今年は先の大戦が終了して70周年となります。

    70年前の夏、我が国はソビエトロシアの条約違反とアメリカの原子爆弾と焼夷弾による非人道的行為によりポツダム宣言を受諾することとなりましたが、果たして相手の国に、この“水師営の会見”の際の 明治大帝や乃木将軍のような識見が少しでもあったでしょうか。




    水師営09

    明治大帝 御製 「よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」




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    Author:黒江龍雄
    1/6フィギュア、怪獣・怪人ソフビ、軍装、国内外の映画、そして最近は「ガールズ&パンツァー」に夢中になっています。

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