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    端島-軍艦島-

    ブログ記事50号目となる今回は、スペシャル版として、「端島-軍艦島-」をご紹介します。

    さて、今年の夏の父子旅行では、長崎県へと出かけて来ました。
    特に5月から6月にかけてボクが単身赴任研修でしたので、慌ただしく日程を決めてしまいました。
    そんな中でも、ボクたち父子が特に行きたかったのが、「軍艦島」と呼ばれる端島でした。

    hashima01.jpg

    この写真からわかるように、大正時代の帝國海軍の戦艦土佐に似ていることからつけられた島の通称が「軍艦島」。
    日本の近代史を支えたこの島は、過酷な労働や生活の場であった反面、「理想郷(ユートピア)」とも呼ばれていたという不思議な魅力に満ちた島です。

    この島の地下からは優良な石炭が取れることから明治時代以降、順次、採炭・埋め立てが行われ、大東亜共栄圏建設、戦後復興、高度経済成長という国策を推し進める原動力の重要な一端をにないつつも、エネルギー需要の転換に伴い炭鉱は閉山、島は無人島となってしまいました。

    さて、CATVのテレビ局の一つにヒストリーチャンネルという局があり、そこで「人類滅亡-LIFE AFTER PEOPLE-」という米国で制作された番組を放映していました。
    その番組は、人類が地上から突然消えてしまったとしたら、人類が営々と築き上げてきた建造物や道路、そして人間を取り巻く自然環境等はどうなるかということを検証をする良質のドキュメンタリー番組で、その中の1エピソードとしてに登場したのがこの軍艦島こと長崎県の端島でした。

    閉山後、立ち入り禁止と言うことでしたが、平成21年4月より観光客の上陸が許可されるようになり、そのおかげでボク達、父子も上陸ができることとなったわけですが…。

    軍艦島へは数社の事業所が渡航サービスを行っており、ボク達はその先駆け、やまさ海運さんの「軍艦島クルーズ」(C)に申し込みました。申し込んだのはいいのですが、なんと7月の上陸率は34%。

    この島へは波や風の強い時は上陸できないのです。
    ボク達は祈るような気持ちで、この日、7月26日の朝を迎えましたが、当日はすばらしい好天。

    そして、こうして無事上陸できたというわけです。

    hashima02.jpg

    無人島になってから40年近く。
    島はこのような状態で人々を迎えてくれます。

    左奥に見えるレンガ塀が、総合事務所前の倉庫の塀です。

    hashima03.jpg

    左上に見える灯台のみが白く耀いていますが、これは平成10年に建てられた2代目の灯台。
    閉山前、24時間フル操業をしていたこの島は煌々と明るく灯台は必要なかったのだとか。

    手前のレンガの塀が前の写真と同じ総合事務所の倉庫の塀。
    上陸後すぐに、目に飛び込んでくる印象的な光景です。

    そのレンガ塀の右上あたりから、上へとつながる錆びた給水パイプは、山上のコンクリート製の貯水槽へと繋がっています。
    この貯水槽の上に、大戦中は「対空機関砲」が備えられていたと資料には書いてありました。

    給水パイプの行く先は、倉庫の隣の共同浴場。
    ここには、炭鉱から出てきた鉱夫さん達が、靴と作業着のまますぐに入浴できるようになっていたそうです。

    またレンガ塀のすぐ右にぽっかり口を開けているのが、第二抗口桟橋と思われます。

    hashima04.jpg

    見学ルートに沿って島の南を回って行き、同じ貯水槽を南側から見たところ。
    灯台の手前に見える建物が、鉱員アパート30号棟で、これは大正5年(1916年)に建てられたといいますから、建築後100年になんなんとしています。
    建築当初は4階建て、その後すぐに7階建てに増築されたそうで、間取りは6畳一間で各戸に釜戸付きだったそうです。

    手前のレンガ塀の塊に手を伸ばしたくもなりますが、この島からものを持ち出すのは厳禁。
    そういう決まりがなくても、こうしたレンガの塊、コンクリートのかけら一つ一つが、船で運ばれてきて、島での生活を支えてきたかと思えば、そんなことはできないですよね。

    hashima05.jpg

    第30号棟とは、打って変わって豪華だったと言われているのが、山の上に立つ職員住宅3号棟。
    眺めの良い高級住宅を、今では一羽のトンビが見下ろしています。

    hashima06.jpg

    更に目を島の奧(北方)にやると遠くに見えるコンクリート製の建物のが、端島小中学校の校舎です。
    そして手前の赤さびた鉄骨が体育館に使用されていた鉄骨の残骸。
    さらにその左手が、島最大の鉱員アパート65号棟と思われます。
    そしてこの65号棟の屋上、海抜26メートルの高さにあったのが、端島保育園だったそうです。

    hashima07.jpg

    手前に見える橋桁のようなものがベルトコンベアの残骸。
    操業時は、この橋桁が見えないくらい石炭が積まれていたのだとか。
    これだけ巨大なベルトコンベア、騒音はさぞかし言う感じもしますが、「その音を思い出せないのは、それは騒音ではなく、まるで島の心臓音のよう」で気にならなかったのだとか。(「軍艦島 住み方の記録」2011 軍艦島を世界遺産にする会 より)

    と、まだまだ軍艦島の様子とその魅力は語り尽くせないのですが最後に、今回、現地で、このような資料やグッズを買い求め、ブログにまとめる際に参考にさせていただきましたのでご紹介します。

    hashima08.jpg

    これをご覧になった皆様が、この島に興味を持たれ、軍艦島が世界遺産に登録されるようになるといいなぁと思っております。
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    非公開コメント

    No title

    貴重なお写真を拝見させていただきました。
    上陸できて、本当によかったですね。

    映画館などもあったようですね。まさにユートピア。。
    少ない土地に何千人住むっていうのは、
    今の日本では考えられないですよね。圧巻です。

    ありがとうございます

    お返事遅くなり申し訳ありませんでした。

    写真、見ていただきありがとうございます。
    軍艦島に上陸できたのは、本当に良かったと思います。

    調べれば調べるほど、不思議で魅力的な島です。
    20世紀にみんなで夢見た未来社会のようでもあります。

    No title

    素晴らしい体験をされていらっしゃいますね。
    私も“軍艦島”はとても興味があります。
    こんなに狭い島に、ひとつの街が出来る位の人が生活していたが、閉山と共に突然人がいなくなってしまうなんて、現在では想像も出来ない事です。
    “時が止まってしまった島”“夢のあと”と言う感じですよね。

    ありがとうございます

    dabuwanさん

    コメントありがとうございます。

    あの夏、思い切って長崎に行き、しかも軍艦島に無事、上陸できて本当に良かったなぁ、と思います。

    あの狭い島の廃墟を見ていると、ここに数千もの人が住んでいたとは思えないのですが、写真を見ると独特の生活があったようですね。

    本当に不思議な島です。

    世界遺産に登録して末永く守っていって欲しいと思います。

    また行きたいなぁ・・・。

    同人誌「ぶらりオタク旅20」

    開田裕治先生、開田あや先生が出されている「ぶらりオタク旅20」に、この軍艦島のことを「軍艦島上陸記」として書かせていただきました。

    http://home.att.ne.jp/green/kaida/douzinshi_mokuzi/otakutabi_20_mokuzi.html

    残念ながら、今は売り切れとなってしまっているようです…。

    「開田無法地帯」
    http://home.att.ne.jp/green/kaida/home.html
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